座屈(超短編)

「みごとな絶景ですね。」
「君をこの山頂に無理に誘ったのは、他でもない、どうしようもない孤独に自分一人では耐えきれなかったからなんだけど、君がこの景色を観て感激してくれているようなので、良かったよ。」
この国全体を見渡せる一番高い山の頂に二人は、ようやくたどり着いた。
「君は、座屈という現象について知っているよね。」
景色を堪能するのかと思いきや突然、構造力学の話が始まった。
「ええ、これでも少しばかり、建築構造学を学びましたからね。」
「細長い棒の両端を押す。その押す力がある大きさを超えるとその棒が突然曲がってしまう。」
「弾性座屈ですね。その棒が細長いものであればあるほど、小さな力で押しただけで座屈してしまう。その目安となるのが、細長比で、細長比が大きければ大きいほど、座屈しやすい。細長比を導く式も書けと言われれば今でも書けますよ。」
「局部座屈という現象もあるよね。材料の厚さが薄い場合に、局所的に薄い板が曲がってしまう現象。板の幅を厚さで割って求める幅厚比を目安として、その幅厚比が大きければ大きいほど、局部座屈しやすいものと判断できる。」
「あと、横座屈というのもあって、いずれも不安定な現象で構造物を考える際には避けて通れないけれど、扱いづらいものですよね。」
「そう、不安定な現象であるということ、起こると一瞬で大きく変形して時には構造物全体の崩壊につながるということ、扱いにくいのに構造物の設計時に忘れてはならないのが座屈という現象なんだよ。」
「山頂からのこの景色を前にして、何でまた、構造力学の講義をされているんですか?」
その質問に直接答えることなく、座屈の話は続いた。
「細長い材料、薄い材料、その材料の形に脆弱性が潜んでいて、そこに加わる力がある限界を超えると突然変形する。」
再び語り始めた表情が急に曇りだしたかのように見えた。
「脆弱性があり、限界を超えると、突然変形して崩壊する。細長い材料、薄い材料。」
先ほどの言葉が繰り返されただけのようにも思えたが、明らかにその口調は重かった。
「気づいたときには、もう手遅れだった。ほんの2ヶ月前、あまりの発見に感激すらしてしまった。」
「いったい、何に気づいたんですか?何に感激したんですか?」
「実は、君と会っていなかった20年間、座屈と徹底的に向き合ってきたんだよ。コンピュータの処理能力が格段に向上したおかげで、単純な形状における座屈のテーマを遙かに超えて複雑な構造体、その全体の座屈モードを詳細に分析し続けてきたんだよ。でも、気づいたのは2ヶ月前、いくらなんでも間に合わない。手遅れだった。」
「間に合わないって?」
「都市が座屈する。」
「とし?」
「そう、都市という構造体に潜む脆弱性があって、その都市の脆弱性が保たれるかどうかの目安となる細長比のような指標の算出に成功したんだよ。その数値からどれだけの負担が加われば都市がその形を保てなくなるかという指標が分かったんだよ。」
「指標を発見して感激したということですか?」
「まさしく長年の研究成果だ。で、その指標からどのような負担が都市に加われば都市が座屈するかということが分かる。」
「都市が座屈する?」
「そう都市の座屈だ。負担がある限界を超えると突然変形して崩壊する。」
「手遅れというのは?」
「そう、まもなく負担が限界に達する。それを止めること、そこから逃れることは誰にもできない。むやみに不安に陥れ、混乱を招いても仕方がない。これを運命だと思って受け止めるしかない。」
「まもなくって、もうすぐってことですか?」
「おそらく、突然変形して崩壊する。」
「都市の座屈?この国、この景色全体が崩壊する?」
話の意味も意図も理解できない。その表情を浮かべた瞬間のことだった。
「ほら。」
指さす先もその指も、次の瞬間にはなくなっていた。

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