小説や漫画に連載ものがある
テレビドラマにも連続ドラマがある
毎日か毎週か毎月か 間隔はいろいろ
数週間なのか 数ヶ月なのか 数年なのか 期間もいろいろ
どれにも共通なことは いずれ最終回を迎えるということ
必ず 死を迎える人の人生と同じようなものかも
違うのは作り手がいるということ
作り手はいるものの 作り手だけで作っていないのかもしれない
連続して表現されていくものは当初の想定とは異なる展開がなされることがある
読者や視聴者の声を反映したり、評判の影響を受けたりする
いつまで続けるのかということへの影響もあったりする
どのような最終回を迎えるのか その内容も左右されることもある
基本的な筋書きは当初の想定通りでも、その描き方が変わることもある
応援するにしろ、批判的な意見を伝えるにしろ、作品制作の一端に関わる意識が持てる
そういう意識のもと 最後まで関与し続けている
そのような連続ものの最終回をどう締めくくるのか
どう終わらせるかということに作り手は当初から向き合い続けている
伏線と呼ばれるものがあって 最終回に近い段階で 展開に納得させる仕掛けが早い段階から仕込まれていることが多い
伏線が回収されるという言い方がされていて、その仕掛けが納得いくものであると満足感を生む
回収しきれない展開だと 損した気分にさせられる
伏線の回収がなされるためには、作り手が最終回までの筋書きを当初から練り上げている必要がある
その筋書きだけは途中の評判には左右されない
場合によれば途中で伏線の意味が変わることがあるかもしれないけれど
すべてが当初の計算通りに進まない もしくは進めないということもありうる
でも 最終回をどうするか 最後は作り手次第で決まる
人生はそうはいかない
そもそも人生には伏線はない
あとあと伏線であったかもと思えることはある
伏線であると信じて行動することによって、伏線になってしまうこともある
人生の場合は 何が伏線なのかなんて分からない
後になって 伏線だったのかもと思えるに過ぎない
人生の作り手が自分自身だとして 人生の最終回は作り手の思い通りにはならない
すべてが筋書き通りにならないことを良しと思うしかない