「しくみをみよう」構造目線

「うけとめていく」デザイン

すべての存在価値を「うけとめていく」デザイン

参考図書
・価値の社会学 作田啓一 ちくま学芸文庫 岩波新書696 2024年
 (1972年 岩波書店より刊行されたものの文庫化)
・価値 新しい文明学の模索に向けて B・アーモンド B・ウィルソン 玉井浩 山本慶裕 訳 1994年
・価値意識の理論 見田宗介 弘文堂 1996年

 作田は、価値の日常的な意味において『何らかの欲求を満たしうる客体もしくは客体の性質』という経済学における使用価値と『容易に接近したり入手できないもの』の希少価値の二つの概念があるとした上で、主に2つ目の希少価値について考察を深めて『不変の理念が貫徹する仮構の世界』から生ずる『文化的価値』が狭義の価値であることを示して、人間の開発それ自身を目的とする社会は『営為価値から存在価値への転換が行われた社会』であると述べている。

 ブレンダ・アーモンドは著書の中の『環境価値』という章において、当面の問題として『生命があろうとなかろうと自然にはそれ自体に価値 -本質的価値- があるかどうか』、価値というものが『人間が発見、認識、意識するか、それとも無視し、感知し損なうかする何ものかどうか』というような問いを投げかけている。その答えを述べる中で『我々は生命なき自然に価値を付与するために価値の客観的な意味を必要としないのである。』と断言している。

 見田は、価値の概念について『何を価値あるものと考えるべきか』に関する客観的価値概念と『ひとびとは何を価値あるものと考えているか』に関する主観的価値概念の2つに分かれるものとして、主に主観的価値について論考している。その著書の中での『価値意識の「主観性」ないし「不可触性」』の「不可触性」の説明に、力学において『それ自体は見ることもさわることもできない』力について見ることができるのは『さまざまな作用とその「諸結果」だけである』という比喩を用いている。そして『価値意識それ自体は「主観的」なものだけれども、その「作用」とその「諸結果」とは客観的なものでありうる。』と述べている。

 「うけとめていく」デザインにおいては、あらゆるものの価値と向き合うことをその基本姿勢とする。存在価値というものは、そのものに付加することによって得るものではなく、もともとそのものに備わっているものであると考える。その基本姿勢で向き合えば、広く環境や時代背景なども含め、知覚できるあらゆるものがデザイン対象となる素材であるという見方ができる。都市や建築を対象とする場合、すでに現在ある都市の姿、数多くの建築物も素材であるといえる。さらに、これから何かを形づくっていくときには、そのつくったものそのものも次なる素材になっていくというイメージでデザインしていくことが重要である。「うけとめていく」デザインの行為によって、環境をうけとめて文化をかたちあるものにしていくことが可能になる。

 この世に存在することとなった生命、建築物や土木構造物などによって形成された都市は、すべて「うけとめていく」ための存在価値のある存在である。それらが破壊されてしまう自然災害については、その被害そのものを受け止めて行かざるを得ず、「うけとめていく」デザインが必要になる。しかし、人為的にそれらを破壊する犯罪、戦争行為は、絶対に認められるものではない。

「うけとめていく」デザインをキーワードにして、考えていることを少しずつ記述していきます。
その前書きはこちら→ 試論:「うけとめていく」デザイン連携活動

関連記事