「しくみをみよう」構造目線

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不純異性行為論 004

モデル化 それは「おきかえてみる」こと

モデル化してものごとを捉えることができる。
モデル化とは何か?

それは「おきかえてみる」ことだといえる。

みるは、見る?観る?試みるの意味か?
置き換えてみる
置き換えて見る
置き換えて観る
かえるは、換える?替える?代えるのか?

漢字によって捉え方も変わるが、ここでは平仮名のままにしておく。

「おきかえてみる」ことによって、確かめたいことが明確になる。
明確になることで、次なる判断ができるようになる。
どの程度明確になるかは、その「おきかえ」の精度次第できまる。

「おきかえてみる」以上、そのもの自体をつかんでいるわけではない。
そのもの自体をつかんでいるわけではないことを自覚していなければならない。

何を考えるにしても、
意識していようと無意識であろうと「おきかえてみる」ことをしている。
そのさきに妥当な判断をするためには、適切に「おきかえてみる」ことが必要である。

何に「おきかえてみる」のか、方法はさまざまである。

絵にする。
もう1個別に用意する。
模型をつくる。似たものをつくる。
言葉にして表す。数で表す。

新たにつくるだけでなく、
過去にあったものと「おきかえて」考えるという手立てもある。
未来を想像して「おきかえてみる」手立てもある。

頭の中であれやこれやと考えているときには、
常に、何を何にどう「おきかえてみて」いるのか問い続けていた方がよい。
その「おきかえてみて」いることの妥当性を常に検証したおいた方がよい。

さて、そのようにして、あらゆるものごとを
「おきかえてみる」ことにより考えている自分自身について、
「おきかえてみる」ことができるのだろうか?

今、まさに何か考えている自分そのものを「おきかえてみる」わけにはいかない。
自分自身を「おきかえてみる」ためには、
自分自身から自分を引き剥がした上で、
引き剥がされた自分が、剥がれた自分を「おきかえてみる」
というような思考実験をしなければならない。

でも、それができるようになれば、
ありとあらゆるものごとに対して「おきかえてみる」ことができる。

「悟る」という行為は、そういうことかもしれない。

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