映画の最後にエンドロールが流れる
関係者の名前が連なる
どれだけ多くの人が関わったんだということが分かる
関わった人たちも自分の名前がそこにあるって思える
建物を建てるときにも多くの人が関わっている
多くの人が関わっているのに、建物のエンドロールはない
有名な建築家が設計するとその建築家の名前が表に出る
でも設計に関わった事務所の所員の名前は出てこない
それどころか実際に作ることに関わった施工者の名前は誰にも分からない
伝統的な建築物だと小屋裏(天井の上の見えない部分)に棟札(むなふだ)というものがある
棟札?
そこに建てるときに関わった主だった人の名前が記されていたりする
建物でも映画のエンドロールのようなものがあってもいいのに
どれだけの人が関わったかという記録になるし、関わった人の誇りにもなる
でも、どういう形にするのか? 石碑のような形で残すのか?
どう残すのかということもあるけど 問題はそこじゃない気がする
残し方の問題じゃない?
そう そもそもエンド、終末はどこかという話
映画は ほぼ最後にエンドロールが流れる
では 建物の最後はどこ? いつ?
完成したときを竣工と呼んでいる
竣工後、建物は使い続けられ、残り続ける
竣工時が終わりではないということか
伝統的な建築物では修理した記録も棟札で分かることがある
修理され、使い続けられている間、その建物がなくなるまで物語は続いていく
そう だから竣工時が終末じゃない
連なる名前が増えていくような形式のエンドロールになる
墓碑銘のようなものに名前が足されていくことがある
そうか 関わった人すべての名前が足されていくような碑があってもいいかもしれないね
建物があり続けることは、その建物を作り続けているということ
竣工した時点で完成するものじゃないのか
そういう意味では 建物は壊されるまでの間、ずっと未完なのかも
建物が壊されてなくなると何もない土地だけが残る
その土地にそこにこういう建物があって、それに関わったすべての人の名が刻まれた墓碑銘が残る
もしあり得るとすれば、それが建物にとっての映画のエンドロールのようなものかもしれない
そう考えると映画の完成もいつなんだろうと思えてくる
上映後という考え方もあり得る?
映画を見終わった観客がどう感じたかというところまでを上映時間だとすると
映画のエンドロールの最後の最後には、その映画を観た人の名前が記述されるものなのかもしれない