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『新しい女性の創造』から性差を「うけとめていく」重要性を再認識

新しい女性の創造(改訂版) ベティー・フリーダン 著 三浦冨美子 訳 大和書房
2024年11月10日付の静岡新聞の書評欄で写真家のインベカヲリさんが紹介されていた。
この本がアメリカで出版されたのは1963年。
今から60年以上前に、社会学者がアメリカの女性の生き方に疑問を投げかけている。
もっと早くに読んでおくべきだったと思わせられる一冊で、
恥ずかしながら書評でこの本の存在を知り、初めて読んだ。

1963年当時、アメリカでは女性はこういう生き方をして当然だというイメージが刷り込まれていて、
その状況を示す事例が数多くが記述されているとともに、
打開していくべきであるとの著者の考え方と、そのための提案が書かれている。

この本に書かれている社会状況は、ほぼそのまま現在の日本社会にも当てはまるように思える。

次の一節なども、今の日本社会の状況を言い表しているように思える。
『母性愛は神聖だと言われている。だが、敬意や賞賛の言葉にもかかわらず、母親はいつも批判の的になってきた。なぜ女性はごうごうたる非難を受けて黙っているのだろう。
 世の中で自分が選んだ道を進むより、夫や子供を通して生きる方が楽だし、彼女は、息子や娘の人生を苦しいものにした母親の娘でもあるからだ。自分をのばし、受け身の生活から足を洗うことは恐ろしいことだ。文化も時代の風潮も、妻であり母である以上の人間になる必要はないし、成長しないほうが楽に暮らせると叫んでいるのに、誰が好んで苦しい生き方をしようと考えるだろう?』P.148

現在の日本においても、次の一節のように、多くの人々があまりものごとを深く考えずに消費行動に走っているようにも思える。
『女性の能力を好んで無視することは、難しい問題に取り組むのを嫌い、すべての人が能力に応じた生き方ができる道を考え出そうとしない、不健全な社会のみがなすことである。
 女性を人間ではなく、”主婦”にすることを好むのは、病にむしばまれているか未完成な未完成な社会だけである。
 大した苦痛も感じないで、家具でいっぱいの家に長い間引きこもり、平凡な家庭生活を送ることを人生の目的と考えるのは、病気か、まだ成長しきっていない男性か女性だけがすることである。』P.165

どう打開すべきかというヒントも、この本には書かれている。
『仕事は、生きるために必要なだけでなく、人間が自分をもち、さらに自分をのりこえて進化するために必要である。自我、自己は、仕事をし、愛することによって、また、現実を知り、現実に打ち勝つことによって、確立できるのである。』P.251

今こそ生きていることを真剣に考えよという次の一節は、ほんとうにまさしく今、考えるべきであると思う。
『どんな時代でも、思想家たちはこう述べる。自分の生命がなくなるかもしれないということを知って、はじめて人間は、自分を知るようになり、生きていることを真剣に考えるようになると。死ぬ間際になって、こう悟る人もあれば、消極的な意味のない仕事をしていて、自分を失いそうになって、このことを知る人もいる。死(肉体的な死ではなく、自己喪失の意味)に直面しているアメリカの女性は、今こそ生きていることを真剣に考えなければならない。』P.252

『新しい女性の創造』は、男性、女性問わず、
互いの性差を「うけとめていく」デザインの必要性を
強く訴えかけている啓発書のように感じながら読むことができた。

「うけとめていく」デザインをキーワードにして、考えていることを少しずつ記述していきます。
その前書きはこちら→ 試論:「うけとめていく」デザイン連携活動

「うけとめていく」デザインを英語に翻訳する場合
次のようなフレーズが適切であると考えています。
“Design that embraces the way things are”

 

 

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